2013年11月8日金曜日

【寂しい】気持ちと侘しい気持ち

二つの意味に関する疑問は常にあり、【寂しい】と侘しいのとでは、意味に違うところがあります。
侘しいのと【寂しい】のとでは、同じような意味に思いますが、微妙にニュアンスが違うようです。
この建物は、無駄なものが無くて味があるというと、侘しいになり、この建物は、無駄を省きすぎて華が無いというと、【寂しい】になります。
逆に【寂しい】というのは、侘しいとは違い、時間の経過によって劣化した様子を指し、人がいなくなって静かな状態を表しています。
あえて【寂しい】と侘しい、を比べると、侘しいは、色がない、意図的なという感じがあり、感覚的な意味合いになります。【寂しい】というのは、色々な場面で使われ、人によってそのレベルは色々ですが、侘しいというのはどう違うのでしょう。
一方、【寂しい】は、華がない、自然に、と言う感じで、漢字で書くと、けっして良い概念ではありません。
禅宗の影響などもあり、侘しいというのは、【寂しい】と違い、積極的に評価されていて、美意識の中にとりこまれている感じがあります。
寒々しい感じがするのが【寂しい】で、孤独感が強い感じで、ひとりぼっちはつまらないという感じがあります。

【寂しい】というのは、孤独で、侘しいは自分の欲望を満たす方法がなくてつまらないという気持ちになります。
どんなに豪華な食事をしていても、それが一人で食べているなら、【寂しい】と感じるでしょう、
大勢で揃って食べていても、ごはんが茶碗に半分しかないと、【寂しい】ではなく、侘しいとなります。
比較すると微妙な違いがあるのが、【寂しい】と侘しいですが、共通しているのは、どちらも残念であるという点です。
京都の古いお寺を訪れたとすると、何となく、【寂しい】と侘しい、の違いがわかるかもしれません。
要するに、【寂しい】と侘しい、の違いは、人が無意識のうちに体験することなのかもしれません。

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